ブランド買取専門店の内緒のはなし
エルメス本社で副社長になった日本人、「齋藤峰明」さんてどんな人?(前編)
2018年10月31日
フランスに本店を構えるエルメス。
Hermesと言えば、高級ブランドのイメージがありますよね。
しかもフランスで創業され、現在もフランスに本店を構える高級ブランド店です。
皆さんは「Hermès」にどんなイメージがありますか?
そして、そんなエルメス本店において、副社長を務めた日本人が居たことをご存知でしょうか?
その名は「齋藤峰明」さん。
ファンションの本場で、長い歴史を持ち今なお第一線の高級ラグジュアリーブランドHermèsで
副社長を務めた齋藤さんとは一体どんな方だったのでしょうか?
19歳、単身渡仏した行動力
静岡県島田市出身の齋藤さん、小学生の頃には大阪にお住まいだったこともあるようです。
東京の高校に進学する頃には哲学と美術に深い興味を持ち、アーティストか美術評論家になりたかったらしいです。
フランスに行くことを夢に見て、
否。
フランスに行くことを決め、思い立ったらすぐ行動!
高校卒業後一年間フランス語を勉強した後、フランスに行くことを決めてから1年半後には実際フランスに渡ったそうです。
が、ここで初めての挫折が・・
齋藤さんにとって、パリに行く事こそが目的になっていたのです。
実際パリに着いたとたん、自分が何をしたいのか、自分は何者なのか分からなくなってしまったのです。
そうした中で、自分が「日本人」である事を強く感じたそう。
「自分は日本人である事を抜きには語れない」
「本来、日本人とは素晴らしい素質を持っている民族で、とても大事な国である」
と気づいたそうです。
がむしゃらに働いた、学生時代
その後、大学進学を決めた齋藤さん。
猛勉強の末、ソルボンヌ第一大学芸術学部に合格!
言語の違う国で、一人、大学受験し合格するなんて本当に凄いと思います。
何事も思ったことはやり遂げる方なんですね。
大学での勉強はとても興味深く面白かったそうですが、ソルボンヌ大学で紛争があり休講が続いた為、時間を持て余していた時期があったそうです。
そんな時、たまたま目についた「三越トラベル」に飛込み「何かアルバイトはありませんか?」と尋ねたところ、
「明日からでも来て欲しい」と言われアルバイトが決まったそう。
暇でたまたま目についたからって、飛び込みで職を得るなんてやっぱり行動の方です。
そして、勇気と度胸もあるんですね。
アルバイトと言っても、ツアーの企画から添乗員まで社員と変わらない仕事量だったようです。
週3日は「三越トラベル」で働き、3日間に大学のカリキュラムを詰め込んで、
「朝の7時から夜中の12時まで忙しい。背広でアルバイトに行き、セーターに着替えて学校に行く」
そんな日々を送っていたそうです。
小売店への思いを胸に駆けずりまわった社会人時代
旅行の企画やイベントを行う事だけを生業にしていくのは何か違うと感じた齋藤さんは、大学卒業を迎え「三越トラベル」に就職はしなかったそうです。
自分の思いに正直で忠実な方なんですね。
そんな齋藤さんが入社を決めたのは繊維系商社のパリ支店。
一年程経った頃、三越の岡田社長から「戻ってこないか」と声をかけられた齋藤さん。
本社採用の正社員扱い、しかもいきなりの主任!
大学卒業一年目の若者には破格の条件でした。
それだけ三越にとって、齋藤さんは必要とされた人材だったのでしょうね。
1980年、三越に入社した齋藤さんはトラベルや催事にとどまらず、三越がヨーロッパに求める業務の全てを担うようになっていくのです。
その中には、新しいデザイナーの発掘や商品の買い付けも含まれていました。
沢山の商品、食品、人に出会い、
「物だけだなく、商品を作っている人や歴史も含めて紹介する事が重要」
だと、考えるようになっていきます。
そうして思いは進み、
「使い手がどのように反応してくれるのかを見届けたい」
と思うようになっていきます。
1985年、「パリ三越」の駐在所所長という責任者に抜擢された齋藤さん。
「日本のものを紹介して売る店」を目指すなかで、
【日本の歴史から生まれた美的感覚を現代という時代の中で表しているもの】
【日本の感性が作り上げた現代のデザイン】
とも言える雑貨を紹介したいと考えるようになり、立ち上げたのが
日本の物を海外で紹介するショップ「和(SHIZUKA)」でした。
当時、パリにおいてこのようなショップは他になく、斬新で成功を収めました。
それでもゼロから立ち上げた一店舗だけのお店を商業として軌道に乗せるのは大変で、
その資金を得るため高田賢三さんのパリの自宅を建てる仕事を請け負ったり、
キャノンのプロモーションを手掛けたりしていたようです。
それでも「SHIZUKA」を軌道に乗せるのは想像以上に大変で困難でした。
パリ三越での幅広い業務と
思い入れのある「SHIZUKA」の経営
どちらも齋藤さんにとって興味深い仕事であり、やり抜きたい仕事だったのではないでしょうか。
しかし物を創るところから販売するところまでの全てを手掛けたいと言う思いを強くしていた齋藤さん。
「駐在員では無理なんだ」という思いを抱くようになっていきました。
そして、そんな頃、ついに!
エルメスから声がかかるのです!
まとめ
齋藤さんがHermesに入社する前
どんな思いで仕事に向き合い
パリで、日本に対してどんな思いを抱くようになったのか・・
そして、この後Hermèsとの出会いが待っているわけですが
それは後編で!
この一冊の中により詳しく、齋藤さんの人となりが触れられています
とっても面白いのでご興味を持った方は是非、読んでみて下さいね。
- その他の記事